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2009 年 2 月 25 日

陶磁器の「真行草」について

カテゴリー: 焼物の話「歴史」 — hiro @ 9:54 AM

陶磁器の歴史には、シンメントリーの完全なる美「絶対技巧」をもとめる中国のの陶磁器(例天目茶碗)に対して、千利休など、日本の茶人はの焼き物を大成します。

わかりやすく言えば、書道といっしょで真から草にかけて、自分流にくずしていくイメージと言えばいいでしょうか。

職人技を神技にまで高め、極めていくのが真とするなら、より作り手の個性を強調したものが草なのでしょうね。

ちなみに、利休は草庵と名付けた茶室を製作しています。

「利休にたずねよ」を読んで

カテゴリー: 真右ェ門窯の日常 — hiro @ 4:02 AM

最近、直木賞を受賞された小説に利休にたずねよというのがあります。

利休にたずねよ

その中に、秀吉を、道具を見る目が無い、と言って怒りを買う利休の愛弟子山上宗二というひとが出てくるのですが、これについて、利休がたしなめます。「茶席では、お客様に良い気持ちで帰ってもらうのが、第一であり、審美眼など、どれほどの役にたつか」と。

利休ほどの恐るべき審美眼を持つ内柔外剛の男だからこそ言える、心に響く名言です。

真右ェ門窯のおすすめです。一度、皆さんも読んで見ませんか?面白いですよ。

2009 年 2 月 24 日

京都にて侘び寂びをたずねる。

カテゴリー: 真右ェ門窯の日常 — hiro @ 6:56 PM

先日、京都に旅をしてきました。私は、昔から、茶陶、侘び寂びに興味がありまして、ある美術館の管理人の人に「侘び寂びとはなんですか?」とたずねてみました。私なりには、不完全の美、であるとか、思想美だとか?難解に理解していたんですが、管理人さんは、「そんなに、難しく考えなくても、偶然できる面白さのことを、侘び寂びというんじゃないんですか?」と言ってくれました。

なるほど、京都の人は流石だな、と思い感服しました。難しい言葉を、簡単な言葉で置き換えて、話すのは、本当にわかっている人しか話せませんからね。

良い旅でした。

2009 年 2 月 21 日

「天竜寺青磁」とは?

カテゴリー: 焼物の話「釉薬について」 — hiro @ 12:10 PM

青磁は日本で最も好まれる色のひとつです。青磁には宋の時代に作られた青みの砧青磁と元から明にかけて作られた緑味の天竜寺青磁があります。

今回、紹介させていただく青磁ですが、なぜ、天竜寺青磁とついたのか?といいますと、南北朝時代、足利尊氏公が京都の嵯峨に天竜寺を建設するため、資金調達に、この手の青磁を輸入したという説と、天竜寺にこの手の青磁の香炉が伝わったからという説があります。

青磁には日本の侘び寂びにも通ずる内なる美を強く感じます。

二代真右ェ門は青磁に対しての想いは強いものがあります。清らかな艶の独自の天竜寺を追求しています。

2009 年 2 月 18 日

輝く宇宙の黒 「油滴天目茶碗」

カテゴリー: 焼物の話「釉薬について」 — hiro @ 11:42 PM

今回は黒茶碗のなかで、最も美しいとされる南宋時代(1127~1279)の油滴天目茶碗の紹介をしたいと思います。陶磁器の専門家でなくても、油滴天目の気品の高い美しさは、ある程度、一般の方々にも知られているようですね。時代劇とかに、天目台という台の上に乗せて、差し出されているシーンをよくみかけます。今回は、その油滴天目茶碗の魅力を皆様と一緒に感じていきたいと思います。

 

油滴天目茶碗は南宋の陶工が皇帝や士大夫階級といわれる知識人に一生懸命作りのこしたものと伝えられます。神秘的な美しさと魅力をはなつ油滴天目茶碗は、単に目を楽しませるだけではなく、心を研ぎ澄ました時、宇宙深奥の景色を読みとることができる、として重宝されてきました。ここで士大夫階級とは、どういう人々かと言いますと、努力して庶民から台頭してきた知識人階級で、非常に精神性の高い美を求めたと伝えられています。すべてをつつみこみ昇華する黒、それこそが、宋の時代にこめられた深い精神性です。

 

当主の真右ェ門も、油滴天目はやっていますが、自分の納得いくものがでるのは、一年間に2、3個でるかどうかと言っています。いまだに次にどういうものがでてくるかわからない楽しみ、変化は無限、それが油滴天目をつくる喜びです。国宝の油滴天目を目指したいですね。

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