先日私がある二人のろくろ職人さんが話しているのを聞いたお話です。
話が熱中するなか、ひとりの方はすごく自分の技術を頼みにされる方で、
「茶陶などの土まかせ、、炎まかせの作品は気楽だなあ。」と言われました。
もう一人の方は茶陶をされる方で、怒った口調で、
「自然に身をゆだね、信じきることは大変難しいことですよ。」と言い返してました。
そうしたら「君は自然の力に頼りすぎている。人の力信じたときに自然の力がはたらくのだ。」と最初の方はいわれたので、
「あなたこそ自分の声にとらわれすぎているんじゃないですか?
技術を磨くことの真意は、自然の前には自分がいかに無力かを知ることですよ。
そして自然と一体になることが大切なのです。」
と茶陶をする方は言われてました。
これ以上話したら二人が喧嘩になりそうだったので、「まあまあ。」と言ってとめました。
二人は腹は立ててたようですが、お互いを認めているようでした。
先日美術館で、一輪の花を手でつまんで微笑している女のひとの絵画を見ました。
なんと、優雅な光景かと思いました。何かをうったえてきているようで・・・
人にものを伝える時に、熱弁をふるうかわりに、微笑して花を相手に差し出すことを、お茶の世界で、
「拈華微笑(ねんげみしょう)」といいます。
この言葉は、相手の心に伝えたいことは、言葉で伝えることができないことがあるというたとえです。
無言の中にも伝わることがある。
絵を見てお茶の言葉に共通するものをかんじました。
よい体験でした。
これは、難しく考える必要はなく、直感でいいなと思うこと。
いいな、と肌で感じることが大切だと思います。
作品を見つめながら、題名を見、それからその作品の中を見る本人が自由に泳ぎ回る。
これこそ、焼き物を楽しむ秘訣です。
本当にいい焼き物、何千年も家宝として残っているようなものは、目を楽しませるだけではなく
心の奥底を震わせて、止みません。
私たちもそのような心奥の美(しんおうのび)を目指してがんばります。
ある人から紹介して頂いた御寿司屋さんに先日行ってきました。
私はカウンターに座り御寿司、刺身をいただいたんですが、盛り付け、味といい素晴らしいお料理でした。
それに盛り付けがまるで大自然を器の中に表現したような芸術的な盛り付けですばらしかったです。
そこのお料理をたべた後、血流がさらさらなるような不思議な感じがしました。
私はお寿司など日本料理ほど発達した料理は世界に類がないと思います。
スプーンより木の箸がおちつきますし、焼き物湯呑の土の感覚を味わいながらお茶をのむことで
なんか懐かしい気持ちになります。日本料理は心のふるさとです。
私たちもこのすばらしい日本料理の伝統文化を食器を作ることで守りたいですね。
春の夜に月星の薄明かりのなか、桜の美を楽しんだことは有りませんか?
桜は日本で最も好まれる色の一つです。
何度見ても見飽きない。なぜだろう?と自分なりに考えてみましたが、
桜の美には無邪気な自然の母のような心があるのではないのかと思います。
眺めていると、大自然のただ人を愛する心が伝わってきそうです。
精気に満ちてやわらかいけど、奥には深い力を秘めている。
それが桜の美です。
その美に魅せられた真右ェ門は夜桜を表現した釉「桜天目」を創りだしました。
ぜひ大自然の与える美を感じてください。