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2009 年 3 月 23 日

「松下幸之助に学ぶ人生論」を読んで

カテゴリー: 真右ェ門窯の日常 — hiro @ 10:22 AM

松下幸之助さんと言えば今のパナソニックを設立された経営者です。

飯田史彦さんの「松下幸之助に学ぶ人生論」は松下さんの実体験にもとづいた非常に面白い話がのっています。たとえばなんで豊臣秀吉が織田信長から好かれたか?とか。

単なる教条主義ではない人生の体験哲学がのってます。これはぜひお薦めしたい一冊です

こういう本は理論倒れであまり役に立たない本が多いのですが、これはかなり役に立ちます。

何度みても飽きない本です。さわりをいうと、人をある一つの型に押し込めることの弊害についてかかれています。

ものづくりをしている人はヒント がたくさんあります。

ぜひ見てみてください。

2009 年 3 月 20 日

富士を描く

カテゴリー: 真右ェ門窯の日常 — hiro @ 10:11 AM

富士山はわが国を代表する山です。標高3776メートル。

わが国の最高峰であるにもかかわらず、世界でもめずらしく平地にあります。

古代から神聖な山として民衆に尊崇されてきた富士山は時には優美な静謐さを、

時には喜怒哀楽の激しさを私たちに見せてきました。

古今富士に憧れ描いた画家(横山大観など)は数知れません。

真右ェ門も富士をテーマにした作品を制作中です。

ご期待ください!

2009 年 3 月 16 日

北宋文化人 蔡襄(さいじょう)

カテゴリー: 真右ェ門窯の日常 — hiro @ 5:58 PM

時は北宋時代、この時代きっての文化人に蔡襄という人がいました。彼は日本でいう千利休みたいなひとでした。彼はお茶の銘産地福建省出身で、士大夫階級のでしたが、1051年、時の皇帝仁宗に、黒釉の茶碗を提案。当時黒釉はその当時としては、日常品でしたから、大改革です。

この当時中国には茶較(ちゃくらべ)という遊びがあり、これはお茶をたてどちらがいつまでも沈澱しないかを競うものなのですが、茶の色が茶色のお茶をつかっていたのを、白色をつかうようになったといわれています。大切なことは、彼が茶をのむことを、真剣な美学でうけとめていることです。

ここから茶碗の主力は黒釉がその地位をかためていき、喫茶はますます発展していくことになります。

この茶碗の中から、有名な油滴天目茶碗、耀変天目茶碗が生まれるのです。

2009 年 3 月 15 日

月のデザイン

カテゴリー: 真右ェ門窯の日常 — hiro @ 7:38 AM

焼き物には月はウサギと一緒にえがかれているデザインが多くあり、共に縁起が良いとされてきました。

特に月はツキに読みが通じることから好まれたのと、日本人の侘び寂びの感性にあったのが好まれた理由でしょう。

月は眺めているとしみじみとした気分になります。

藤原道長公は「この世をば、我が世と思う、望月の、欠けたるものも、無きとおもえば」

と読んだとか。

しかし、望月もいいですが、三日月もいいですね。風情があって。

どちらの月も好きです。

今、山と月をテーマにした作品を制作中です。ご期待ください。

2009 年 3 月 12 日

蔦模様の歴史

カテゴリー: 真右ェ門窯の日常 — hiro @ 5:45 PM

平安時代、歌人柿本人麻呂が「さ寝し夜は、いくだにもあらず、這う蔦(つた)の、・・・・」と

詠んでいるように歴史は古く、「源氏物語」「枕草子」「栄華物語」にあるように貴族の着物の柄として多く用いられていました。(ただし家紋には用いられていない。)

江戸時代に入り将軍家の親戚の松平氏が将軍家の葵の御紋に遠慮し蔦の家紋をつかったと伝えられています。

また衣装としては将軍家から花柳界の女性まで蔦の柄の着物を愛用したそうです。

将軍家は蔦の生命力の強さ、子孫の繁栄の縁起をかつぎ、

花柳界の女性は恋愛の縁起を担いだそうです。

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