平安時代、歌人柿本人麻呂が「さ寝し夜は、いくだにもあらず、這う蔦(つた)の、・・・・」と
詠んでいるように歴史は古く、「源氏物語」「枕草子」「栄華物語」にあるように貴族の着物の柄として多く用いられていました。(ただし家紋には用いられていない。)
江戸時代に入り将軍家の親戚の松平氏が将軍家の葵の御紋に遠慮し蔦の家紋をつかったと伝えられています。
また衣装としては将軍家から花柳界の女性まで蔦の柄の着物を愛用したそうです。
将軍家は蔦の生命力の強さ、子孫の繁栄の縁起をかつぎ、
花柳界の女性は恋愛の縁起を担いだそうです。