時は北宋時代、この時代きっての文化人に蔡襄という人がいました。彼は日本でいう千利休みたいなひとでした。彼はお茶の銘産地福建省出身で、士大夫階級のでしたが、1051年、時の皇帝仁宗に、黒釉の茶碗を提案。当時黒釉はその当時としては、日常品でしたから、大改革です。
この当時中国には茶較(ちゃくらべ)という遊びがあり、これはお茶をたてどちらがいつまでも沈澱しないかを競うものなのですが、茶の色が茶色のお茶をつかっていたのを、白色をつかうようになったといわれています。大切なことは、彼が茶をのむことを、真剣な美学でうけとめていることです。
ここから茶碗の主力は黒釉がその地位をかためていき、喫茶はますます発展していくことになります。
この茶碗の中から、有名な油滴天目茶碗、耀変天目茶碗が生まれるのです。