以前、美術館で見たんですが、伊達政宗の陣羽織にはカラフルな水玉模様が一面に広がっています。
普通だったら調和しない色彩のバランスが全体ではバランスが取れているのは不思議です。
この時代、大胆な今では考えられない大胆な「粋」な模様が考えられています。
焼き物も古田織部の「ひょうげた」ものに象徴されるような普通では考えられない大胆な構図がうまれた時代でした。
今、一瞬を大切に生きた武将の心がつたわってくるような陣羽織でした。
以前、美術館で見たんですが、伊達政宗の陣羽織にはカラフルな水玉模様が一面に広がっています。
普通だったら調和しない色彩のバランスが全体ではバランスが取れているのは不思議です。
この時代、大胆な今では考えられない大胆な「粋」な模様が考えられています。
焼き物も古田織部の「ひょうげた」ものに象徴されるような普通では考えられない大胆な構図がうまれた時代でした。
今、一瞬を大切に生きた武将の心がつたわってくるような陣羽織でした。
離見の見とは能楽の世阿弥の奥義でした。
演じている自分とそれを冷静に見ている自分と、二つの意識を持てということだそうです。
主観と客観の二つを持てということでしょうか?
頭の後ろから見ている感覚をつかむことが大切だそうです。
さすがは世阿弥、一言ではいえない能楽の魅力はこういうところからでているのでしょうね。
現存は三個のみの国宝耀変天目茶碗ですが、他にも戦国時代織田信長が所持していたようです。
ところが、家臣の明智光秀の謀反、本能寺の変で焼失。
謀反を起こした明智光秀もとんでもないこともしてくれましたね。
耀変天目はその当時も今も最高の唐物茶碗です。
いまだにその作り方は謎に包まれています。
光によって様々に表情を変える幽玄の黒です。
戦国時代、将軍足利義昭と共に京都に上洛した織田信長は堺において、
茶道具の名物狩りを行ないます。そして、手柄をたてた武将に分け与えるようにしました。
いわゆる「茶の湯御政道」です。
わかりやすくいうと、茶の湯を認可制にしたわけです。
これより後、織田の武将の間で、茶の湯はものすごいステイタスになります。
例をあげると、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は信長から、茶の湯の認可が下りたとき、
喜び踊ったと伝えられ、滝川一益は茶の湯の認可ではなく、一国を与えられたので、
とてもくやしがったという逸話がのこっています。
これは、茶の湯の認可を受けるということは、信長から認められるということにつながったからです。
先日、再放送のテレビで鑑定団をみていたら、丹波焼の銭入れの壷が出てました。
なかなか形が良い壷で、後に花入に転用されたそうです。
昔の茶人は用途にこだわらず、とらわれない心で見立てを行っています。
水指から花入れに転用されたものもありますし、逆もあります。
ただこれには確かな村田珠光、千利休、古田織部らの茶人らの審美眼(しんびがん)に成り立っているのは言うまでもないでしょう。
ただ、これらの権威者が絶対ではないことも事実で、ルールはなく使う方が直感でいいなと思うことが大切だと思います。
真の美は自分の心の奥底にあるのですから・・・。
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