角の造形は一歩間違えれば、機械的になりますが、
焼成により面に自然なカーブ「たわみ」が生まれます。
これが、陶芸の面白さですね。(笑)
「作陶は朝が人間は一番英気が満ちているんだから、朝に集中してつくりなさい」
と陶芸家の先輩からいわれ、集中していましたが調子が出ません。
おかしいなと思い、初代真右エ門に相談してみました。
そうしたら、
「馬鹿だな、お前。人それぞれ調子の出てくる時間帯がある。
朝がよい人もいれば、昼がよい人、夕方がよい人もいる。
その先輩が言ったのは、必ずしも時間的なことではなく、
一番自分が調子が良い時に良いものをつくれということだ。
強制的に自分の気が向かないときにつくっても作品はいいものはできんよ。
先輩の言葉を表面的に解釈しても意味がない」
と言われ、(そういうことだったのか!)
と反省しました。
まだまだ未熟な私ですね。
陶芸家の朝は早い。 6時30分には起き、歯磨き、食事をすませ、7時45分にはミーティング。
当代のニ代真右エ門から職人スタッフ(といってもほとんど少人数の兄弟親戚スタッフなのだが)に指令が下る。
「どうやったらもっと質の良いものをつくれるか?」「昨日一日やり残したことはなにか?」「人ができないことをやれ!」
「どこまでが無駄な作業で、どこまでが必要か?」「常に新しいものを創り続けろ!」など・・・
とくにものを作る前の心構えについては厳しいです。
そのミーティングが終わり8持15分から庭掃除。
これは若いスタッフだけではなく二代目も含め全てのスタッフで行う。
なんでも二代目によると箒でチリをはらうことは、心のくもりを払うことに繋がるのだとか。
掃除が終わるとスタッフは瞬時に作業にとりかかる。
そして真右エ門窯の朝が始まる。
「私の創りだす作品で、世の中に感動してくれるひとがいれば、それが幸せ」と常にスタッフやお客様に語っている真右エ門(本名馬場九洲夫)。
この世界に飛び込んだのは、25歳の当時付き合っていた今の妻、久美子に「私と結婚したかったら、亡くなった兄の代わりに馬場家
の跡を継いで欲しいと」言われたからだった。「びっくりしましたよ。私の家は職人の家ではありませんでしたから。」当時を振り返り二代目
はそうよくもらす。伊万里に生まれ、佐世保高専を卒業。卒業する一年前電車の中で、久美子を見て一目ぼれしモーレツなアタックの末、
交際にいたった矢先のことだった。「もちろん、とても悩みました。私に芸術家として、デザイナーとしての才能があるのか?とても責任ある馬場家の
跡取りとして、婿養子としてやっていけるのか?」など。結局この陶芸の世界でやっていく決心をする。「当時は自惚れていてなんでもできると
おもっていた。先代ともいろいろとぶつかることもあった。ほんとうに可愛げの無い弟子だったと思う」そう語る二代目。当時つくっていた油滴天目、辰砂の
花瓶を最近みる機会があった「形といい、色といい未熟だなあ。今思えば当時のことを振り返れば恥ずかしくなるね」と苦笑する。当時から二代目は
ガッツがあった。釉薬の研究やデザインの研究は、デッチ奉公であった若いころは、仕事が終わったあと、電気代がもったいないと月明かりの下で、
研究していたという。その研究した釉薬のテストピースを初代に見せたことがある。いつも帰ってきた答えは、初代の「こんなことしてなんになるか!」
という厳しい答え。研究費も出してもらえずバイトのお金で研究していたという、ただし二代目は言う。「私は全然苦労したとは思っていません。なぜなら
この仕事が好きでしたから。むしろよい経験をさせて頂いたと先代には感謝しています。そのころの経験が今とても自分の作陶に役に立っています」
最近押入れから出てきた油滴天目、辰砂の花瓶をみているうち、下手だけど一生懸命つくっていたんだなあ、という思いがこみ上げて涙が出そうに
なりますね」と語る。日展、現代工芸展に多数入選の結果、3年前先代から二代目を名乗ることを許された馬場九洲夫。二代目の挑戦はこれからも続く。
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