私は自分のこだわりが強いほうなのですが、25歳の時
他の73歳の職人さんから「焼き物は自分を抑えることがいいもの
をつくるコツだよ」
と言われ、自分の個性を抑えて作陶していたことがあります。
そこに初代の真右エ門が来て、
「おいおい、自分に似合わないことはするんじゃないよ」
私は自分のこだわりが強いほうなのですが、25歳の時
他の73歳の職人さんから「焼き物は自分を抑えることがいいもの
をつくるコツだよ」
と言われ、自分の個性を抑えて作陶していたことがあります。
そこに初代の真右エ門が来て、
「おいおい、自分に似合わないことはするんじゃないよ」
私がこの世界に飛び込んだのは、8年前。
その前は京都に4年間いまして建造物や美術館を巡り感性を磨いていました。
さて、この世界は土こね3年、ハマ造り5年といわれていました。
この修行は土をこねることにより、空気を抜くこと、それと土の粒子の流れを
整えて、ロクロでの成形をしやすくなることが目的。
ハマつくりは同じ形をつくる修行です。
(ハマとは焼き物の下にひいて窯入れして焼くことで、焼き物のゆがみを防止する
役割があります)
ちなみに2代目がこの修行を先代から命じられた時は、
(こんなことして何になるか!)と思っていたそうですが、今ではその意味合いを認め、
「この修行は大切だよ。」と皆に言います。とはいえ、今のご時世は、仕事の間ではその修行はできず、
仕事が終わったあとにさせていただいています。
一度土こねは「土屋さんさんから来た新品の土を使えば必要無いんじゃないんですか?」という
質問を受けましたが、すぐに使えればいいんですが、1日たてばすぐに土の表面が空気に触れマクがはりますので、
そのマクをとるために土コネは必要です。
私は今、ろくろの技術を2代目に命じられた仕事のそのあいまに修行しています。
これからも日本の伝統を支えるためがんばります。
私の好きな言葉だが、焼き物は生地を一生懸命つくり、
釉薬の研究を重ね、人事を尽くしたあとは、
窯に任せるしかない。
どういう窯上りになるかは分からない。
奥深い世界が陶芸にはあります。
陶芸家が自然に対して畏敬の念を抱く人が多いのもわかるような気がします。
今度はまた新しいデザインの鉢を窯にいれます。
心は期待と不安に満ち溢れています。
うまく窯からあがることを望みます。
陶芸の作品には一見他人が見て無駄だと思えることの
なかに、大切なことが隠されていると最近気づきました。
「無用の用」という言葉もあります。
回り道も時には大切かも。
効率主義の世界ではわからないことかも知れません。
朝、夕方と車の中でクラシックを聞くことが、日々の楽しみになりつつある。
クラシックは昔から好きだったが最近は、ますます好きになった。
ドビュッシーの「月の光」「ドリーム」「アラベスク№1」
フォーレの「3つの無言歌」
などは私の脳にとろけそうな快感と作陶のインスピレーションを与えてくれる。
時代の風雪に耐えて生き残ってきた本物には頭が下がる。
こういう作品を残していきたいと常に思う。
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