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2009 年 10 月 16 日

二代目の履歴書

カテゴリー: 真右ェ門窯の日常 — hiro @ 9:42 AM

「私の創りだす作品で、世の中に感動してくれるひとがいれば、それが幸せ」と常にスタッフやお客様に語っている真右エ門(本名馬場九洲夫)

この世界に飛び込んだのは、25歳の当時付き合っていた今の妻、久美子に「私と結婚したかったら、亡くなった兄の代わりに馬場家

の跡を継いで欲しいと」言われたからだった。「びっくりしましたよ。私の家は職人の家ではありませんでしたから。」当時を振り返り二代目

はそうよくもらす。伊万里に生まれ、佐世保高専を卒業。卒業する一年前電車の中で、久美子を見て一目ぼれしモーレツなアタックの末、

交際にいたった矢先のことだった。「もちろん、とても悩みました。私に芸術家として、デザイナーとしての才能があるのか?とても責任ある馬場家の

跡取りとして、婿養子としてやっていけるのか?」など。結局この陶芸の世界でやっていく決心をする。「当時は自惚れていてなんでもできると

おもっていた。先代ともいろいろとぶつかることもあった。ほんとうに可愛げの無い弟子だったと思う」そう語る二代目。当時つくっていた油滴天目、辰砂の

花瓶を最近みる機会があった「形といい、色といい未熟だなあ。今思えば当時のことを振り返れば恥ずかしくなるね」と苦笑する。当時から二代目は

ガッツがあった。釉薬の研究やデザインの研究は、デッチ奉公であった若いころは、仕事が終わったあと、電気代がもったいないと月明かりの下で、

研究していたという。その研究した釉薬のテストピースを初代に見せたことがある。いつも帰ってきた答えは、初代の「こんなことしてなんになるか!」

という厳しい答え。研究費も出してもらえずバイトのお金で研究していたという、ただし二代目は言う。「私は全然苦労したとは思っていません。なぜなら

この仕事が好きでしたから。むしろよい経験をさせて頂いたと先代には感謝しています。そのころの経験が今とても自分の作陶に役に立っています」

最近押入れから出てきた油滴天目、辰砂の花瓶をみているうち、下手だけど一生懸命つくっていたんだなあ、という思いがこみ上げて涙が出そうに

なりますね」と語る。日展、現代工芸展に多数入選の結果、3年前先代から二代目を名乗ることを許された馬場九洲夫。二代目の挑戦はこれからも続く。

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