私は学生時代、京都にいたのだが、よく大阪に遊びに行っていた。
町を見て感じたことは、大阪は個性の文化の町だということだった。
色んな店があったが、一番驚いたのが壁一面まっ赤の壁の店だった。
不思議にトータル的な色彩ではバランスがとれていたのが不思議だった。
佐賀人には失敗を恐れてとても挑戦できそうにない配色だった。
これにチャレンジしたデザイナーさんは凄いと思う。
伝統を重んじることは大切なことだが、芸術家は既成の概念にとらわれすぎると終わりだと思う。
あれだけ大胆な配色を使ったデザイナーさんとそれを許容する大阪文化には敬意をしめします。
とにかく店にしても作品にしても「自分のもの」を創る大切さを大阪から私は教えられました。
離見の見とは能楽の世阿弥の奥義でした。
演じている自分とそれを冷静に見ている自分と、二つの意識を持てということだそうです。
主観と客観の二つを持てということでしょうか?
頭の後ろから見ている感覚をつかむことが大切だそうです。
さすがは世阿弥、一言ではいえない能楽の魅力はこういうところからでているのでしょうね。
「最近は教理屋さんも、洋と和の区別がなくなってきたなあ。」と思う。
創作料理ブームで和食屋さんもかなり洋をとりいれてきていると思う。
和食はすばらしい伝統があるが、時代に合わせて変化していっているのだろう。
それにあわせ、真右ェ門も和洋の区別なく使える食器を創り始めています。
黒塗りの膳にも白壁にもよく似合うような天竜寺青磁、砧青磁の器など。
器の流行はこれからも変化していくとおもいますが、その変化を敏感にくみとり器に生かしていくつもりです。
これからも期待していてください。がんばります。
真右ェ門は新作を創る時が一番苦悩するといいます。暗中模索。霧のかかった迷路ような路を右にいったり、左にいったりして少しでも前に進もうとしているのが痛いほど伝わってきます。
この時期には失敗作が数多く生まれます。(もちろん市場にはだしません。作家の資料としてオクラ入りします。)こうした悲しみを乗り越え、新作が生まれます。その時の喜びは夜明けの朝の光を見出したみたいです。
だから新作はよろこびと悲しみを包み込んでいます。
最近偶然入った喫茶店で「タオ・老子」という本が目にはいりました。
老荘思想は庶民の知恵がたくさんつまった知恵の宝庫なんですが、それをわかりやすく解説していました。
学術的ではなく、詩的な説明がしてあり面白かったです。
注文して読んでみました。
これほど、わかりやすくモダンに老荘思想を説明した本はありません。
老荘思想の「無」の思想はお茶の世界と深い関係をもっているので、
とても参考になりました。
皆さんも読んでみませんか?おもしろいですよ。