よく、幽玄美についてもっとわかり易く説明してほしいと京都の能楽の先生に頼んだことがあります。
そうしたら、「全てを話したら、奥ゆかしくないよ。観客が感じる心の余裕を残す、これが大切なんだ。」
とおっしゃいました。
成程、今は皆すぐに答えを求めてしまう時代ですが、美を感じるためにはゆっくりと理屈抜きに感じることが
大切なんだなと思いました。良いお話でした。
よく、幽玄美についてもっとわかり易く説明してほしいと京都の能楽の先生に頼んだことがあります。
そうしたら、「全てを話したら、奥ゆかしくないよ。観客が感じる心の余裕を残す、これが大切なんだ。」
とおっしゃいました。
成程、今は皆すぐに答えを求めてしまう時代ですが、美を感じるためにはゆっくりと理屈抜きに感じることが
大切なんだなと思いました。良いお話でした。
皆様、こんにちは。だんだんと温かくなってきましたね。今回は、花を連想させる作品が数多く並びます。
今回は窯の展示会ですが、二代真右ェ門は大阪では、ホテルでの展示会だけで、
デパートでの展示会は初めてなので、少々緊張しています。
「大阪はアイデアの町として有名なので、私の作家、デザイナーとしての器量が問われることになるだろう。」
と語っていました。私の主観ですが、今回は、「華やかな温かみ」のある面白い作品がいつもより多いように
感じました。ぜひご覧頂けたら、幸いです。
私の主観では、表現方法や寸法(サイズ)などは、世のニーズに応じて変化していくものだと思うし、そうあるべきだとおもっています。(特に作家は時代の一歩先を読む感性は絶対必要です。)
ただし、先人のから受け継がれてきたは日本の伝統文化の深い精神性、職人の仕事へのプライドはこれからも変わらないとおもいます。
今、社会は日々変化していますが、心の内を見つめ、自分しか創れない、人の心に響く作品を創りたいですね。
私は学生時代、京都にいたのだが、よく大阪に遊びに行っていた。
町を見て感じたことは、大阪は個性の文化の町だということだった。
色んな店があったが、一番驚いたのが壁一面まっ赤の壁の店だった。
不思議にトータル的な色彩ではバランスがとれていたのが不思議だった。
佐賀人には失敗を恐れてとても挑戦できそうにない配色だった。
これにチャレンジしたデザイナーさんは凄いと思う。
伝統を重んじることは大切なことだが、芸術家は既成の概念にとらわれすぎると終わりだと思う。
あれだけ大胆な配色を使ったデザイナーさんとそれを許容する大阪文化には敬意をしめします。
とにかく店にしても作品にしても「自分のもの」を創る大切さを大阪から私は教えられました。
武士日本の侘び寂び文化は江戸時代、千利休の美意識を中心に集約されていきますが、
織田信長、豊臣秀吉の桃山時代にはすぐれた和物の茶碗をつくる職人達が多くいました。
利休には深くかかわらない町屋の茶人であり、そういう茶人と関わっていたのが瀬戸黒、志野、
の茶碗をつくる職人たちです。
概して茶碗は大振りで、野武士や町屋の茶人たちは豪快に茶を飲み干していたそうです。
彼らには茶の湯の美の規範はなく、毅然として、いさぎ良いです。(寸法、重さにこだわった千利休とはまた違った魅力があります。)
手本として、写したものはなく唯一自然を手本としています。
(日展と通ずるものがあります。)
自然にわきおこっ てくる造形意識に素直に従っているので、無駄な装飾性は何もありません。
日本の歴史において一番「個」が発揮された時代です。
型破りな魅力を感じます。
Powered by WordPress