戦国時代、謀反を繰り返していた悪名高い武将松永久秀は意外にも一流の茶人でした。
燃えたぎるような反骨の血を茶をのむことで抑えていたのでしょうか?
千利休の師匠でもある北向道陳、山上宗ニらとともに茶会を催しています。
最後は織田信長に叛き、信貴山に追い詰められますが、その時、
信長から茶釜「平蜘蛛」を譲れば命を助けるといわれたのを拒否し、
「平蜘蛛」を粉々に砕いて、火薬に火をつけ爆死。
信長は大変残念がったと伝えられています。
戦国時代の武士はプライドの塊でしたから、信長ごときの下にはつけぬという
男の意地だったのでしょう。
他にも以前に信長に降伏した時に名物茶入「つくも茄子」をさしだして
降伏した逸話ものこっています。
天目が知られるお茶の世界ですが、実は北宋時代、蔡襄がでてくるまで天目ではなく白磁・青磁の茶碗が使われていました。
冬の美意識で茶碗をあつらえてあり、白磁は「氷」、青磁は「玉」を志向していたそうです。
この言葉は禅語ですが、もともとは、中国の老子の「和其光同其塵(そのひかりをやわらげ、そのじんをおなじくす)」からきています。
五枚揃いの組鉢を作るときに、五枚でひとつの世界を完成させなくてはいけないんですが、一枚、一枚のインパクトが強いと皿同士が喧嘩してしまい、調和が生まれません。
このときに、この言葉を思い出し、「よい加減」正しい意味で適度な加減でつくっています。
昔の古典の言葉には不思議な力がありますね。
あるすばらしいろくろ技術を持つ職人さんに、どういう哲学で生地をつくっているんですか?と質問しました。すると、「難しいことはわからん。ただ座ってろくろを回すことがすべてだ」という心うたれる答えがかえってきました。
私は文化、感性からこだわりを作品に表現するのですが、なるほど「ただろくろを回す」というのも、ひとつの境地だとおもいました。
こういう誇り高い職人さんが、有田を有田たらしめてきたのでしょうね。
陶磁器の歴史には、シンメントリーの完全なる美「絶対技巧」をもとめる中国の真の陶磁器(例天目茶碗)に対して、千利休など、日本の茶人は草の焼き物を大成します。
わかりやすく言えば、書道といっしょで真から草にかけて、自分流にくずしていくイメージと言えばいいでしょうか。
職人技を神技にまで高め、極めていくのが真とするなら、より作り手の個性を強調したものが草なのでしょうね。
ちなみに、利休は草庵と名付けた茶室を製作しています。