ある美術館で絵付けが施されている絵皿をみた。
紹介用のパネルを見てみたら江戸時代のものだった。
手頭といって見本にされているものは本当にすばらしかったが、
それを見本に書いてあったものは良いものと魅力に欠けている
ものとがあった。
この差な何だろうと考えた。
まずは皆職人は師匠の真似から入っただろう、問題はその後だ。
がちがちの教科書道理でいくのか、自分流の個性を自然に出すのか?
魅力の差とはこういうところなのだろうと感じた。
ある美術館で絵付けが施されている絵皿をみた。
紹介用のパネルを見てみたら江戸時代のものだった。
手頭といって見本にされているものは本当にすばらしかったが、
それを見本に書いてあったものは良いものと魅力に欠けている
ものとがあった。
この差な何だろうと考えた。
まずは皆職人は師匠の真似から入っただろう、問題はその後だ。
がちがちの教科書道理でいくのか、自分流の個性を自然に出すのか?
魅力の差とはこういうところなのだろうと感じた。
真奥の美(しんおうのび)とは京都の人から聞いた言葉だが、
最近ひたすらこれについて考えてみた。
名品と言われているものは、確かに素晴らしい。
あることに気づいた。
優しい形でも、力強い形でも名品とされているものは
内実の「しなやかさ」があるのだ。
これを京都の人は深奥の美と言ったのだろうか?
これはまさに「生きる力」そのものではないだろうか?
答えはまだでていない。
自分自身を深く掘り下げるために読書は好いです。
本当に奥深い本、たとえば中国古典や、司馬遼太郎さんの本、
山本兼一さんの「利休にたずねよ」などは時間をかけてゆっくり読みます。
いつ見ても新たな発見があります。
私たちもそういう魅力のある焼き物を創りたいですね。
これは難しい話だ。
知識を蓄えることで、前例主義になってしまったら作家としてはむしろ害になる。
無いほうがましだ。
しかし「閃きの呼び水」としては有効だろう。どんなアイデアも十分な知識がなければ生まれにくい。
結局その知識を生かすも殺すも本人次第なんだと思う。
だからそういう意味では惑わされなければ、知識は多くあればあるほどいいのだと強く思う。
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