二、三年前から司馬遼太郎を読みだしていますが、司馬氏の鋭い歴史観には脱帽します。
司馬氏は大阪出身だけあって、徳川家康についてはシビアですが、「関ヶ原」の武将同士の駆け引きには、まるでその場を見てきたようなリアルさがあり、すごいと思いました。

この小説では、豊臣秀吉が亡くなり、その遺志を継ぐ石田三成と覇者徳川家康との戦いを描いています。
(私は以前吉川英治の徳川家康を読んでいたので家康のイメージが180度違うことに驚きました。)
吉川英治版では、義の人家康という設定でしたが、司馬版では目的の為なら手段を選ばない徳人の仮面をかぶったマキャベリストとして描かれていて、衝撃的でした。(むしろ義の人は三成でした。)
いろいろな個性的な人々がたくさん登場します。正義を貫こうとして、死に追いやられるものもいれば、策略が失敗し、破滅するもの、逆に成功するものもいます。
その姿を愚かというのは簡単ですが、彼らもその時代、今を一生懸命生きたのだとおもいます。
なんとも人間臭く、魅力的な人物が山ほどでてきます。歴史とは人間学ですね。
ぜひ、一度見てみてください。
*マキャべリとは中世イタリアの「君主論」を書いた政治思想家。
ローマ人物語を書いた塩野七生氏が詳しい。
真右ェ門の作品製作の最中には、工房に静寂な雰囲気が漂います。
特に、釉(うわぐすり)を生地にかける時、あつすぎたら、釉薬が焼成の段階で流れますし、うすすぎたら、色が美しくなりません。ちょうど良い加減が、とても難しく。何度も何度も繰り返すことで得られた熟練した技術が必要です。(これは文章ではのこせません。)
肌の奥の感覚だけで、つきつめるものだと聞いています。
仕事中の真右ェ門はとても静かです。技術については多くを語りません。それは、技術というものは体でおぼえるものであって、言葉では伝えることができないと思っているからでしょう。
製作にはいる前には、温度、健康状態、気候にきをつけるそうです。
それが揃いはじめて美しい色をだせるのです。
先日、紹介しました能楽の幽玄美の話は、本からの知識でしたが、今度は京都の金剛流のプロの先生に僭越ながら、「幽玄美とはなんですか?」とお話をうかがってみました。
「いろいろ表現があるけど、一言でいえば山の上の春の夜の月(やまのうえのはるのよのつき)かな?」と答えてくださいました。
やはり、一芸を極めた人はすごいと思いました。私もまだまだ、勉強が足りませんね。
二代目の真右ェ門らしく端正な姿の器のなかに黒と赤が激しくも調和しています。
全面にわたる豊かな「天目(黒)」の発色も漆黒に奥深く輝き、その中に風情ある、赤の景色が広がっています。作者の感情をそのままぶつけた作品であり、ふたつとして同じものができない徳利でございます。

酒器「山景色」 徳利 直径9×高13.5cm ぐい呑 直径3×高3.5cm
綺麗寂びというのは、小堀遠州が祖となるお茶の流派の流儀です。
お茶の世界はくずしのある不完全の美の侘び寂びがよく知られていますが、この流派は茶碗の形にも完全さ、左右対称の完全なる美をもとめます。
これは、武士がこのような、完成された、そつの無い研ぎ澄まされた美を求めたからといわれています。侘び寂びの大成者千利休が商人だったことと比較したら、おもしろいですよ。
ちなみに、小堀遠州は、江戸初期の茶人で徳川家光の茶道師範です。