先日、京都に旅をしてきました。私は、昔から、茶陶、侘び寂びに興味がありまして、ある美術館の管理人の人に「侘び寂びとはなんですか?」とたずねてみました。私なりには、不完全の美、であるとか、思想美だとか?難解に理解していたんですが、管理人さんは、「そんなに、難しく考えなくても、偶然できる面白さのことを、侘び寂びというんじゃないんですか?」と言ってくれました。
なるほど、京都の人は流石だな、と思い感服しました。難しい言葉を、簡単な言葉で置き換えて、話すのは、本当にわかっている人しか話せませんからね。
良い旅でした。
青磁は日本で最も好まれる色のひとつです。青磁には宋の時代に作られた青みの砧青磁と元から明にかけて作られた緑味の天竜寺青磁があります。
今回、紹介させていただく青磁ですが、なぜ、天竜寺青磁とついたのか?といいますと、南北朝時代、足利尊氏公が京都の嵯峨に天竜寺を建設するため、資金調達に、この手の青磁を輸入したという説と、天竜寺にこの手の青磁の香炉が伝わったからという説があります。
青磁には日本の侘び寂びにも通ずる内なる美を強く感じます。
二代真右ェ門は青磁に対しての想いは強いものがあります。清らかな艶の独自の天竜寺を追求しています。
今回は黒茶碗のなかで、最も美しいとされる南宋時代(1127~1279)の油滴天目茶碗の紹介をしたいと思います。陶磁器の専門家でなくても、油滴天目の気品の高い美しさは、ある程度、一般の方々にも知られているようですね。時代劇とかに、天目台という台の上に乗せて、差し出されているシーンをよくみかけます。今回は、その油滴天目茶碗の魅力を皆様と一緒に感じていきたいと思います。
油滴天目茶碗は南宋の陶工が皇帝や士大夫階級といわれる知識人に一生懸命作りのこしたものと伝えられます。神秘的な美しさと魅力をはなつ油滴天目茶碗は、単に目を楽しませるだけではなく、心を研ぎ澄ました時、宇宙深奥の景色を読みとることができる、として重宝されてきました。ここで士大夫階級とは、どういう人々かと言いますと、努力して庶民から台頭してきた知識人階級で、非常に精神性の高い美を求めたと伝えられています。すべてをつつみこみ昇華する黒、それこそが、宋の時代にこめられた深い精神性です。
当主の真右ェ門も、油滴天目はやっていますが、自分の納得いくものがでるのは、一年間に2、3個でるかどうかと言っています。いまだに次にどういうものがでてくるかわからない楽しみ、変化は無限、それが油滴天目をつくる喜びです。国宝の油滴天目を目指したいですね。
南宋時代に中国河南省塗兎州で焼かれた陶磁器の総称です。
古来中国では、貴人の器として、重宝されてきました。
月白釉とは鈞窯の一種です。月がでてくる前の山の空の青白さを表わしています。