「真右門さんの白はいいなあ」と皆さまから喜んでいただけるような作品のみを窯あがりの焼き物のなかから厳選しています。
えっ?真右エ門さんといったら赤なんじゃないの?とか、油滴の黒なんじゃないの?とかいう声が聞こえてきそうですね。
しかし私どもが言いたいのは美しい色をだすためには土(白磁の色)を厳選させなくてはならないということなんです。
有田焼は土が特上、選上、選中、選下、などさまざまな等級がありましてそれぞれ鉄分が少ない順から値段がお高くなっています。
一般的には特上が一番良いみたいに言われていますが、しかし実際はどうなのでしょうか?
じつは、これがそうでもないんです。
窯でどのくらいの温度で焼くか、またどんな釉薬を掛けるかでも良いものができるかどうかは違ってくるんで、一慨に特上が良いわけではありません。
ですからこれは作家の長年の経験と目利きがすべてです。
当店では有田焼の土の基準によって作品の判断を行ってはおりません。
実際、青磁は選下(鉄分が多い土)のほうが美しい色になります。
私どもは自分たちが対価に見合ったもの、それ以上の価値があるかどうかを判断しそれをみたさなければ商品としてお出しすることはありません。
<本物>だけを見つめて納得のいく商品のみを販売させていただきます。
「この釉薬(色)にはこの土だ」と決めて焼かれたものは時代が経てばたつほど良い味わいになってきます。
そのあたりのことも考えてみなさまに私どもの作品をお届けできればうれしく思います。
http://www.sinemon.co.jp
ついに、ついに二代真右エ門はあの伝説と言われる孔雀辰砂の再現に成功しました!
私もその孔雀辰砂の作品を見たときは言葉を失ってしまいました。
二代から一言「私の近年の作品のなかでは最高の作品だ」
孔雀焼きが創作されたのは近年で戦後の日本の兵庫県です。
源流は中国層時代の辰砂系磁器に見ることができます。
時として油滴天目を思わせる発色と斑点結晶は窯変によるため
作品の斑模様はすべて異なり、花器などの作品にあらわれる
窯変美に近代的な魅力が感じられます。
似ているようで全然違うのがデザイナーと芸術家。
芸術家は他人が何と言おうと自分の道を貫きわかる人だけついてこい!
って感じです。
しかしデザイナーは違います。
デザイナーはお客様のニーズをくみとり自分の感性と融合することを仕事とします。
私たちは食器に関しましてはこの二つの感覚、どちらも大切だと思っています。
千利休と豊臣秀吉との逸話では一番有名なエピソード。
ある日秀吉が利休の庭の朝顔を見たいといったことがあった。
ところが秀吉が利休の屋敷にいくと朝顔が見当たらない。
奥の小座敷に行くとそこには一輪の朝顔が飾られていて何とも言えない趣があった。
利休はその一輪の朝顔を引き立たせるためにそのほかの朝顔を刈り取っていたのだ。
秀吉は利休の美の才能に感嘆しつつも面白くなかったという。
芸術家からは「よくやった」と拍手喝采のエピソードだが「いささか出すぎている」
との意見もある。
皆さんはいかが考えますか?
私たちが美術品をつくるときの心構えは「千年残る焼き物をつくる」です。
焼き物は生きている、という言葉がありますが、良い材料を使い精魂こめてつくったものは時間が
経てばたつほど良い味わいが出てきます。
しかし、手抜きでつくったモノや材料の質を落として作ったものは時代がたてばたつほど劣化してゆきます。
これは不思議です。
これは決局のところ、制作する本人が3年間くらいの流行りものでよいのか?千年もつものがいいのか?
どちらの価値観でつくったかということでしょう。
どちらの価値観がいいか、悪いかはわかりませんが・・・
私どもはやはり千年残るモノをつくりたいです。
油滴にしろ、辰砂にしろ良いものは時代とともに味がでてきますから。
人によっては、「真右エ門さん、もっと土の材料の質を落としたり、工程を合理化して安く売って
くださいよ」というひともいらっしゃいますが、真右エ門は絶対にそれをしませんし、それをやって
しまったら終わりだということをわかっているんでしょうね。
素地をつくるときも、すごく形にこだわりますよ。上から釉薬をかけちゃうのにね。
「そんなことしても、うわぐすりがどっぷりかかったらムダじゃないか」というひともいますが、
真右エ門は「いや、この削りが隠し味になるんだ」といって譲りませんね。(苦笑)
私もですが。(爆)
「普通のひとがわからないところにこだわるのがプロだ」が口癖ですね。
時代が経てばたつほど良い味わいになる「家宝」をつくるのが我々の夢なんでございます。