今は真右エ門窯についての説明文字は
以前は手書きでくずして書いていました。
ところが13年前、ある著名な評論家の方に、
「この文字はもっと自分流にくずすか、基本道理にきっちりわかりやすく書くかしたほうがいいんじゃないか?
中途半端はいけない。」とご指摘をうけ、文字をわかりやすく書いたことがあります。
(今はワープロの文字になっていますが)
評論家の方は「余計な事をいいましたね。すみませんね。」
と苦笑されていました。
真右エ門は自分がこれと決めたこだわりは絶対に曲げませんが、
自分が気付いていなかったことを指摘されたときには素直に感謝し改める性格です。
(意外に柔軟な一面もあります。)
文字だけではなく焼き物の形も伝統の基本道理にするか、
自分流に崩すかどちらかが魅力があると私は感じます。
書と陶芸の共通点を見出した思い出でした。
先日、あるお寿司屋さんに行きました。
カウンターに座り、食事をしていますと、一人の白髪の初老の男性が話しかけてきました。
しばらくお話をしていますと、「いやー、今日の茶席の井戸茶碗は最高だったな。」と言われてたので、
どうもお茶をされていることがわかりました。
私はお茶の世界にはとても興味がありますので、
「お茶の世界の無とはなんですか?」と尋ねてみました。
茶人の方は少々酔われていましたが、
「はっはっは!君の歳で無を語るのは五十年早いよ。無を語るには早すぎる。」とおっしゃいました。
「なんですか?」と反論したら、
「無を語るには色々な経験を積まなくてはいけない。人生は祭りだ。
祭りをこれから経験しなくてはいけない若者には無は早い!
私くらいの年齢になってわかる世界もあるよ。」といわれました。
「そうですか・・・」といいましたら、
「まあそうは言うけど知識としては知っておいていいね。
無とは水の味と表現するといいかな。」とおっしゃいました。
漠然としかこの意味はわかりませんでしたが、そのうちわかる日が来ればいいなと思いました。
梅雨に入りむし暑い日が続いています。
皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか?
さて、今日は梅雨の日の生地について話していこうと思います。
梅雨の日は轆轤で成形し削りに入る前の生地が、
口縁はすぐにかわくのですが、下部特に底部が乾きません。
この為、ヒビが生地の収縮率の関係でできやすく、困ります。
そこで、高台裏に焼き物の削り粉をしいて口部との乾きを
同じにすることにより、ひび割れを防止します。
私もヒビが生地に入るのには悩んでいましたが、こうして解決しました。
有田の伝統の知恵の紹介でした。
先日、ある経営者さんと飲む機会がありました。
その方もモノ創りの会社の職人気質の社長さんだったので、
「物創りに一番大切なものはなんですか?」と質問してみました。
そうしたら、その社長さんは「人だよ。」とおっしゃいました。
「作品にはそれをつくった人間の精神の奥深さが自然と現れる。
技術も勿論大切だが、それだけでは人を感動、感心させられない。
物を良い風合いにするには成熟した人間性が大切だね。」と続けられたので
「なんだか、抽象的な話ですね。具体的にはどうすればそういう味をだせるんですか?」
と言いましたら、
「それは一言では説明できないなあ。一つヒントを言えば、
物の本質を知ることなんじゃないか?」とおっしゃいました。
なんだか、心打たれるお話でした。
白洲さんの選んだ骨董品を以前テレビで放映していましたが、彼女の所有していたという
焼き物の好みはとても素直で品のいいものでした。
この人はかなりの目利きだと思いました。
洋服もかなりお洒落な人だったそうで、服も焼き物も理屈ではなく直感で選んでいたそうです。
器の好みはやわらかくて強い形が好きだったそうです。
薩摩出身で率直な人でごまかしが嫌いな人だったそうです。