有田の今の70歳の職人さんの世代はがんこな人が多く、
一匹狼みたいな人が多かったそうです。
経営者さんにからかわれた職人さんが、怒って一メートルの花瓶を
頭上に高々と持ちあげ、がっしゃーん、とたたき割ることもありました。
今はそんな職人さんはあんまりいませんが、昔は気難しいひとが多かったんでしょうね。
有田の先輩の職人さんは基本的に人を鋭く見抜く目をおもちなんで、お世辞は嫌がる
人が多いです。
嘘のない心からのほめ言葉でなくては嫌がられますね。
まごころをもって、礼儀よく、ごまかしなく接したら、意外と付き合いやすいんですがね。
純な精神状態でなくては良いものがつくれないからかも知れません。
トンボや蝉など小さな虫が作陶室に紛れ込んでくることがあります。
二代目は「絶対殺すなよ」と言って、そっと外に出します。
「どんなに小さい虫も生きてるんだ」というのが心条です。
ただし、蚊は別で叩いてつぶしちゃいます(苦笑)。
さされたりしたら作業に集中できませんからね。
以前お客様から、「陶芸家の方は自分の食卓にも良い器が使えていいですね」
と言われたことがありました。
周りから見たらそう思えるんでしょうか?
食卓は有田の窯元は伝統的に二級品を使います。
お客様と同じ器では食べれませんよー。
作家は次々に新しい作品を世に送り出していくのが使命である。
が、しかし・・・
感性でデザインを生み出すほどそこには美の規範という
大きな壁にぶち当たることとなる。
感性と直感だけでいくと必ずぶち当たる壁。
ここでみんな作家は頭を悩ますこととなる。
しかし、美の規範だけ勉強して、無難なそつのない作品ばかり
作っていても、感動は生まれず。
うーん難しい。
二代目の話なんですが、造形にもある程度の基本ルールがあって、
あまりに本能的に気持ち悪い感じのするただ目立てばいいという形は邪道というらしいです。
まあ、それもテーマ性しだいですね。
あえて邪道をすることで、社会に対しての疑問を呈したような作品もありますからね。
ようは形がどうこうより「どのような心境で作品を創ったか」という気持ちのほうが大切ですからね。
私個人としては、芸術家があんまりそんなのにこだわるのはどうかとは思います。
しかし同時に二代目は「あえてタブーにチャレンジせよ」ともいいます。
なんだか禅問答のようになってきましたね。
今日はここまで。