中国(宋)から禅の高僧により日本に輸入された天目茶碗。
日本の茶の湯本流の歴史は天目茶碗から始まったのだが、この歴史について説明しよう。
時は北宋時代。最高の「文化人階級」のひとりに福建省出身の「蔡襄」がいた。その当時流行っていた
茶碗は白磁・青磁の茶碗であったが、彼は自分の故郷の福建省の「白濁するお茶」を流行らせるために
皇帝に進言する。
「白いお茶を引き立たせるには黒い茶碗がいいです。私は白磁・青磁のお茶碗は好んでは用いません」
この文化人階級とは「科挙」という難しい試験を合格して皇帝に仕えた、貴族にかわりのし上がってきた新興の
庶民階級で、彼らは荘厳な美しさを主体とする貴族文化に対抗するため、本当に心が感動する茶碗として、
天目(黒)茶碗を用い、内なる精神の陶治を求めたのであった。
こうして天目茶碗の評価はうなぎのぼりとなることになる。まさにコペルニクス的転換。
当時白磁・青磁の伝統を重んじる方々からはものすごい批判が蔡襄に浴びせられたという文献がのこっている。
黒茶碗が用いられた背景には当時の天の思想。宇宙の色は黒だから、「黒が一番格が高い」という思想が
根本にある。
ともあれ、蔡襄などの文化人は一度見るだけではなく何度も目を通すごとにじわりじわりと美境が開け、本当に
心が震える茶碗として黒茶碗を選んだ。またこの黒茶碗の中から今、日本に伝わっているような曜変や油滴などの
まるで星が瞬いているような茶碗が生まれることになる。
私は思う。まさにこの蔡襄日本でいう千利休であるなと。
この蔡襄の「茶の改革」がなければ茶碗の歴史は変わっていたに違いない。