私の好きな言葉だが、焼き物は生地を一生懸命つくり、
釉薬の研究を重ね、人事を尽くしたあとは、
窯に任せるしかない。
どういう窯上りになるかは分からない。
奥深い世界が陶芸にはあります。
陶芸家が自然に対して畏敬の念を抱く人が多いのもわかるような気がします。
今度はまた新しいデザインの鉢を窯にいれます。
心は期待と不安に満ち溢れています。
うまく窯からあがることを望みます。
私の好きな言葉だが、焼き物は生地を一生懸命つくり、
釉薬の研究を重ね、人事を尽くしたあとは、
窯に任せるしかない。
どういう窯上りになるかは分からない。
奥深い世界が陶芸にはあります。
陶芸家が自然に対して畏敬の念を抱く人が多いのもわかるような気がします。
今度はまた新しいデザインの鉢を窯にいれます。
心は期待と不安に満ち溢れています。
うまく窯からあがることを望みます。
陶芸の作品には一見他人が見て無駄だと思えることの
なかに、大切なことが隠されていると最近気づきました。
「無用の用」という言葉もあります。
回り道も時には大切かも。
効率主義の世界ではわからないことかも知れません。
朝、夕方と車の中でクラシックを聞くことが、日々の楽しみになりつつある。
クラシックは昔から好きだったが最近は、ますます好きになった。
ドビュッシーの「月の光」「ドリーム」「アラベスク№1」
フォーレの「3つの無言歌」
などは私の脳にとろけそうな快感と作陶のインスピレーションを与えてくれる。
時代の風雪に耐えて生き残ってきた本物には頭が下がる。
こういう作品を残していきたいと常に思う。
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