陶芸の作品には一見他人が見て無駄だと思えることの
なかに、大切なことが隠されていると最近気づきました。
「無用の用」という言葉もあります。
回り道も時には大切かも。
効率主義の世界ではわからないことかも知れません。
陶芸の作品には一見他人が見て無駄だと思えることの
なかに、大切なことが隠されていると最近気づきました。
「無用の用」という言葉もあります。
回り道も時には大切かも。
効率主義の世界ではわからないことかも知れません。
朝、夕方と車の中でクラシックを聞くことが、日々の楽しみになりつつある。
クラシックは昔から好きだったが最近は、ますます好きになった。
ドビュッシーの「月の光」「ドリーム」「アラベスク№1」
フォーレの「3つの無言歌」
などは私の脳にとろけそうな快感と作陶のインスピレーションを与えてくれる。
時代の風雪に耐えて生き残ってきた本物には頭が下がる。
こういう作品を残していきたいと常に思う。
10代のころ物故作家の人物評に皆で熱中したことがありました。
そこに初代真右エ門が来て、
「お前達偉いなあ。わしはそれだけの余裕はないよ。」といいました。
聞かれてた。瞬時に皆顔が赤くなりました。
懐かしい思い出でした。
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